2013年御翼7月号その2

静まって、内面の声を聞く

 外からの情報を、受け入れるかどうかを判断するのは自分である。そのために、私たちは、内面の声を聞く必要がある。内面の声とは、魂の働きであるが、上村先生は『魂の神学』の書評で、魂について以下のように記しておられる。
 魂とは一体何か、私自身の長年の疑問であった。この書は、明快にそのことを図解入りで明示している。第一コリント2.10‐12を踏まえて、「霊魂の真のエネルギーは、霊魂が神の聖霊を受けた時に与えられる」(53頁)としている。また魂の働きとして、@愛すること A思いつくこと Bひらめくこと C夢を見ること D良心の働きをすること、としている。その上で、「潜在意識も顕在意識も、その働きの基礎は、魂にある」(九六頁)と結論付ける。「罪を犯す魂は死ぬ」(エゼキエル一八・二〇)という究極の言葉から、主イエスの十字架による罪のあがないを、自分の魂の罪のあがないのためであったと信じた時に、その人は「信仰としての実りとして魂の救いを受けている」(第一ペトロ1.9)と結んでいる。
 意識の働きの基礎は魂にあるという。そして、「霊魂の真のエネルギーは、霊魂が神の聖霊を受けた時に与えられる」ということであるが、聖霊を受けるのに、休息が重要なのだ。「静まって、わたしこそ神であることを知れ」(詩篇46.10、口語訳)と書いてあるとおりである。
 陶器師は、粘土をこねて柔らかくすると、ろくろにかけて形成する前に、乾かないように湿った布などで覆い、一週間から十日間、粘土を寝かせるという。寝かせている期間に粘土から空気が抜け出て、粘土のきめが一様になり、また粘土の粘りが増すために、成形時に器にひびが入ることを防げる。人にとっても、生存と機能を果させるためには、夜の休息は必要である。寝て休んでいる時は、生体は活動していないかのように見えるが、実際は新しい細胞の生成や疲労した組織の回復、また栄養分の代謝吸収などが行われている。人間にとって休息は霊的面、精神面、肉体面における準備と何かを生み出すために欠くべからざるものなのである。
 『陶器師の手の中で』の著者ネル・ケネディは、「私は人々が三時間も、あるいは二、三分だけの人もいますが、聖霊の臨在の中に憩うのを見てきました。不思議なことですが、その間に、彼らの過去のいやな出来事がまざまざと思い出されると、そこにイエス様が来られて、すべてのことを解決し、彼らは悩まされていた問題から直ちに解放されるのです」と記している。そして、創造的発想は静かな黙想の時、すなわち、すべてのことから手を休めて、人生の目標をはっきりと焦点を合せて見ることができる時に生まれる。電球、電話、ヴァイオリン、ピアノ、すべては静けさの中で考え出されたアイデアの結果である。それらは忍耐と緻密な実験と失敗を通して生み出された。トーマス・エジソン、キュリー夫人、グラハム・ベル、そして世界に偉大な貢献をなした人々は、あえて静まって知ろうとした人たちであった。霊的な世界においても、科学や音楽、文学、医学の世界でも、静まること、休息することはそれぞれその分野での働きのために必要な過程の一部なのだ。偉大な作曲家は座して頭の中で描いていると、静寂の中で音楽が流れ出て来ると言う。
 静けさの中で私たちは神の声を聞く。私たちが強いて休息をするその時を通して、神は私たちを形造り、用いてくださるのだ。主にある平安、休息こそ、私たちに与えられた最も身近な、生きる力の基盤であり、静けさの中で謙遜になり神を礼拝し、祈ることを忘れてはならない。

 

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